プロフィール
鐡川福也(てつかわ ふくや)
北海道・芦別市出身
札幌青葉鍼灸柔整専門学校卒
資格 柔道整復師
はりきゅう師
経歴
旧えんどう病院リハビリ室勤務
市内整骨院勤務
よさこいソーラン祭り 極楽とんぼ・元トレーナー
こんにちは【さっぽろ東区の整体院】院長の鐡川福也(てつかわ ふくや)です。
私たちは夫婦で鍼灸院をしています。
「病院にいったけど原因不明」という自律神経失調症で悩む人のために2018年から自律神経専門院として新たにスタートしました。
病院に通っている人のイメージって持病のある高齢者のイメージがありますよね。でも最近では、30・40代の若い世代でも通院するケースが増えています。
その多くは「自律神経失調症」や「パニック症」など、身体に異常がないのに「なんとなく調子が悪い」という状態なんです。
こんな症状で病院の薬を飲んでいるけど
「もう薬に頼る生活はしたくない」と思っているなら私たちは全力でサポートします。
ここからは僕の生い立ちについてちょっとだけお付き合いください。
自然がいっぱいな所で育ったけど
芦別という周りが山々で囲まれた自然豊かな町で育ちました。
僕の人生が変わったのは、小学生の頃です。
年の離れた兄が「ファミリーコンピューター」を買ってきてくれたのをきっかけに、田舎に住んでいながらすっかりインドア派になってしまいました。
僕のゲーム好きはこれをきっかけに今に至ります。
その後は、高校生までを芦別市で過ごし、パソコンの技術を学ぶために札幌の専門学校に進学しました。
施術家になったきっかけ
子供の頃からのゲーム好きが高じて、
札幌にあるゲーム販売店に就職することができました。
好きなゲームに囲まれて仕事をするのはとても楽しくやりがいのあるものでした。
お客さんにいま流行りのゲームを勧めることも仕事の一つであったので、毎晩遅くまでゲームをすることはしょっちゅうでした。
食生活もゲームにかける金額が多くなり、毎日マクドナルドのハンバーガーで節約することもありました。
(当時はハンバーガー単品60円くらいの頃だったとおもいます)
ゲームショップで働き出してから4年くらいが経過した頃、大手家電量販店の進出により務めていた小さなゲームショップは閉店を余儀なくされました。
その後、父の進めで「柔道整復師」と「鍼灸師」の国家資格が取れる専門学校に進学しました。
きっかけこそ「なんとなく」でしたが、筋肉や細胞の仕組みを学ぶうちに「なんか面白い!」と思うようになっていきました。
90歳の患者さんが自信をつけてくれた
6年間の勉強の末、「柔道整復師」と「鍼灸師」の国家資格を無事に得ることができました。
その後は、市内の総合病院や整骨院で腕を磨いていきました。
病院勤務時代、病気で寝たきりになってしまった方のリハビリを任されたことがありました。
90代の高齢者ということもあり病院側も再び歩けるようになることはないと諦めていました。
当時僕は新米であったこともあり、少しでも筋力を回復させてあげたい!という熱意をもってその患者さんのリハビリにあたりました。
ベッドの上でできる運動を根気よく続けた結果、その患者さんは歩行器を使いながらでも歩けるようになり、本人もとても喜んでいました。
このとき、治療というのはただ薬を処方したり、痛いところをマッサージするのは一時的な対処法なのでは?と思うようになりました。
同時に自分の施術に対する考え方に自信がもてるようになりました。
もちろん、この患者さんが歩けるようになったのはご本人の「また歩けるようになりたい」という強い気持ちがあったのが一番の要因です。
20代での不摂生が祟り・・・
30歳を過ぎ病院から転職後は、整骨院の院長を任されるようになり忙しい毎日でした。
でも常に何かにイライラする毎日でした。
仕事では社長と施術の考え方が合わず口論になったり、好きなゲームをやっているはずなのに、うまくいかないとコントローラーを投げ飛ばすこともありました。
体調面の変化も徐々に表れるようになりました。
ちょっとしたことで風邪をすぐ引いたり、頭痛が週1で起きるようになったり、花粉症が出るようにもなりました。
さすがに、人の体を治す人間がこれではいけないと思うようになり、務めていた整骨院を退職しました。
そして、自分の生活を振り返ってみると、好きなときにおやつを食べ、毎週のようにマクドナルドのハンバーガーを食べ、炭酸ジュースもよく飲んでいました。「ああ、これじゃ体調も悪くなるな」そう思いなおし、今の奥さんと結婚を機に生活習慣を改めることにしました。
それと同時に2人で新たに整骨院をオープンさせました。
このときから、自分の健康意識や最新の健康情報を患者さんに伝えていくことが本当の治療家なんじゃないかと考えるようになりました。
最初は1DKの古いアパートを借りての小さい整骨院でした。
理想だった「一人ひとりの患者さんと向き合う」という施術も叶いました。
ひっそりとやっていた整骨院だったけどたくさんの人に来ていただけました。でも残念なことにアパートが立ち退きになってしまったことで白石区の整骨院を閉鎖。
バタバタはしたけれど、縁あって東区に移転することができました。2017年のことです。
原因は未病
理想には一歩一歩近づいて行ったけど、ずっと引っかかるものがありました。
来院する多くの人は「痛み」が強くなってからくるんです。
ひどい場合は病院で「手術しなさい」と言われたけど鍼や整体でなんとかしてほしいという、藁をもすがる人がいるということ。
もうそんな状態でイタズラに施術をしてはかえって痛みが増してしまいます。
何度もそんな人を断ってきました。
改めて治療とはなんだろうかと考えていたときに、「未病」という言葉を思い出しました。
「未病」とはまだ病気ではないけど一歩手前の状態。あくまでも臓器に異常はありません。
鍼灸の基礎である東洋医学はこの未病を治療することが最も得意なんです。
過去に自分が急にイライラしたり、すぐ風邪にかかってしまったり、頭痛が頻繁に起きるもの、病院に行けば「疲れているから」というような理由で薬を出されて帰されました。
でもこれも「未病」のひとつなんです。イライラも放っておけば内臓に影響が出て胃潰瘍やポリープになるし、ただの生理痛だと思っていたら子宮内膜症や子宮筋腫が隠れていることもあります。
体調が悪くて病院にいったけど、「原因不明」「ストレスのせい」といわれ帰された。でも本当の原因を知りたいし、適切な治療をして欲しいと思っている人はたくさんいるはずです。
でも、東洋医学を使って説明すればそれは「未病」の状態なんです。原因不明なんかじゃありません。
ここなら悩んでいた不調の原因がわかった
自分に合った治療を提案してくれる
そして不安だった毎日が明るくなった
このようなサポートをしていきたいと思い、2018年から自律神経専門院として私たちの治療院は再出発しました。
少しでも多くの人が「ここへ来てよかった」と思えるように、患者さんの言葉に耳を傾け一人ひとりに合った施術を提案していきます。
鐡川春菜(てつかわ はるな)
北海道・札幌市出身
札幌青葉鍼灸柔整専門学校卒
資格 はりきゅう師
経歴
札幌市整形外科勤務
こんにちは【さっぽろ東区の整体院】鍼灸師の鐡川春菜(てつかわ はるな)です。
主人が院長ですが、ブログを書いたりSNSを更新したりしているのは私です。なので院長よりも実質権限のあるオーナーのようなものです(笑)
ここからは私の生い立ちについてちょっとだけお付き合いください
常に自分に自信のない子でした
札幌市白石区生まれで物心ついたときからテレビゲームがあったため、子供のころからゲームが好きで、インドア派でした。
(つまりは夫婦ともに同じような子供時代だったということですね笑)
子供のころから自分に自信のもてない生活だったと思います。
学校で問題を当ててもらえて間違えたら恥ずかしいとか、大きな声を出して発言できない、そんな子供時代でした。
鍼灸師になったきっかけ
私は卒業後、スポーツ用品店に就職しました。
家庭の事情もあり生活のために就職したので、仕事が楽しいと思ったことはありませんでした。
でも漠然とではあったけどお金を貯めて何か資格を取ってそのうち転職しようとは考えていました。
そんな時に会社の新事業で治療院ができたのが「鍼灸」との出会いだったのです。
その時の鍼灸師の先生に時間があれば話を聞いていくうちに「鍼灸師になりたい」と強く思うようになっていきました。
その後、2年務めた会社を退職し、2007年4月に「札幌青葉鍼灸柔整専門学校」に入学。
昼は整形外科でリハビリ助手のアルバイト、夜は学生と二足のわらじでしたが毎日を楽しく過ごしました。
在学中の実習では北大医学部の施設を借り、ご遺体を検体するというとても貴重な体験をすることができました。
病気で亡くなった方の臓器の状態をこの目でみたからこそ、健康の大切さを改めて感じました。
猛勉強の末、2010年3月「はり師・きゅう師」の国家試験に合格し、晴れて鍼灸師となりました。
卒業後は学生時代から勉強させてもらっていた整形外科にそのまま就職しました
理想とのギャップ
整形外科での勤務は忙しく、
一日の来院数が200人近くなることもありました。
そんな中、患者さん一人ひろりをしっかり施術することができないというジレンマを抱えるようになりました。
「もっとこんなアドバイスができれば症状も良くなるのに・・・」こう思いながらため息をつく毎日でした。
そんな忙しい時間を過ごしていたせいか、胃の痛みと生理痛が強く出るようになりました。
だんだんと理想の施術と病院の現状に疲れを感じてしまい学生時代から3年間務めた整形外科を退職しました。
その後、主人も務めていた整骨院を退職したのをきっかけに、2011年白石区に夫婦で整骨院を開業しました。
一人でも不調に悩むひとの力になれれば
その後は夫のプロフィールで説明した通りになります。
私自身、子供のころから自信をもって行動できなかったこともあり、鍼灸師となってからも自分の仕事に自信が持てませんでした。
勤務していた病院も多忙だったため、「何かを教えてもらう」ということがあまりありませんでした。
そのため、情報不足だったり、施術がうまくいかなかったりと負のスパイラルに陥っていました。
結果的に体調を崩して働くことがdけいなくなったことは上記でも書きましたが、今にして思えば、怒られても、呆れられてもいいからドンドンわからないことは聞くという姿勢であればよかったと思います。
わからないことはさっさと聞いたほうが楽だし、失敗しても次に同じことをしなきゃいいだけだと今なら思えます。
でも当時はまだまだメンタルが弱かったというのもあって、そんなことはできない自分がいました。
今現在、食生活の見直しや適度な運動を心がけているため、あまりクヨクヨ考えることもなくなりました。
食習慣を見直すだけでこんなにも変わるんだなと自分でも正直驚いています。たぶん、今の自分がそのまま病院に勤務していたら、どんなに忙しくても乗り越えていけるんだろうと思います。
もし、あなたが仕事のストレスや慢性的な体調不調を抱えているのなら、電話で問い合わせるだけでもいいのでご相談ください。
私自身が仕事で体調を崩してしまった人間なので、なにか力になれればと思います。